2019年05月18日

なかゆくい (^。^)y-~ 島唄フェスティバル番外編 中編

前日島フェスと天文館の夜を満喫した私は、最終日は帰るだけの予定でした
しかし、せっかく鹿児島市に来たのでどこか寄って帰ろうと思いましたが、公私含めて7回くらい来たことがあるので有名所はほとんど行き尽くしています
そこでマニアックな所にと思い、まず最初に訪れた所はここ!
なかゆくい  (^。^)y-~  島唄フェスティバル番外編  中編

西郷家墓所です(゜ロ゜)
ここには隆盛さんのお墓はありませんが、留守勝ちな隆盛さんにかわって西郷家を守った弟吉二郎や父、祖父などのお墓があります

この墓所を訪問した最大の目的は隆盛さんの実子菊次郎さんのお墓にお参りするためです


なかゆくい  (^。^)y-~  島唄フェスティバル番外編  中編

菊次郎さんは隆盛さんの2番目の妻愛加那さんとの間に生まれた子供です
愛加那さんは隆盛さんが奄美大島に流されていた時の島妻で、隆盛さんは非常にこの愛加那さんをかわいがっていたそうです
妹に菊草さんがいます
兄妹して「菊」の文字がつくのは、西郷家の祖先が熊本の菊地家の出自で、隆盛さんが奄美大島に流された時に「菊地源吾」の変名を使用したことに由来するといわれています
菊次郎さんは台湾の宜蘭長官や京都市長などを歴任しています
やはり隆盛さんに似ていますね(^.^)

ちなみに愛加那さんはこんな感じ
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南方系の顔立ちですね
島妻である愛加那さんは当時の決まりにより、薩摩に連れて帰ることができませんでした(T_T)
子供2人だけが西郷家に引き取られています
隆盛さんは維新後愛加那さんに何度か薩摩に渡って来るように手紙を送っていますが、ついに実現しませんでした
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右から三人目が菊次郎さんです



ちなみに西郷家は神式なので墓前に玉串が捧げられています
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続いて、やはり鹿児島に来て素通りするわけにはということで南洲墓地へ
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真ん中にある一番大きなお墓が隆盛さんのもので、これです
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南洲墓地は西南戦争の戦死者二千名以上をお祀りしており、隣に南洲神社、南洲顕彰館があります
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南洲神社の写真がありませんでした
すいません

南洲顕彰館でボランティア学芸員の方と仲良くなり、30分くらい話し込んでしまいました(^o^)
こういうのが旅の醍醐味で、私はできるだけ現地の人に話しかけるようにしています
その人は私が大分県の中津から来たことをとても喜んでくれ、中津の偉人増田宋太郎の話をしてくれました

増田宗太郎は西南戦争も薩摩軍が不利になりはじめた頃に、中津隊80名以上を引き連れて薩摩軍に合流し、敗戦濃厚により軍の解散命令が出ても他の中津隊士は故郷に帰し、自分1人は最後まで西郷に付き従いました
その時残したのが有名なこの言葉です

一日先生に接すれば、一日の愛生ず。三日先生に接すれば、三日の愛生ず。 親愛日に加わり、去るべくもあらず。今は善も悪も死生を共にせんのみ

先生とは西郷隆盛のことです
西郷隆盛とはそれほど魅力的な人物だったのでしょう
西郷の言行録「南洲翁遺訓」をまとめたのも敵であった庄内藩士達です
敵にまで愛された西郷隆盛
一度会ってみたい人物です
「日本史上最も男にも女にもモテた男」というのもわかる気がします



なかゆくい  (^。^)y-~  島唄フェスティバル番外編  中編


今回このボランティアさんとお話しして思ったことは、
いかに西郷さんが鹿児島県民から愛されているか、
ということと、
いかに大久保利通が嫌われているか
ということです

大久保の銅像建立や遺骨帰郷時のいざこざなどを憎々しげに語ってくれました
こともあろうに大久保が死に追いやった二千名以上の戦没者が眠るこの南洲墓地に、見下ろすように大久保の石碑を建てるのはゆるせん!
とまで語っていました
地元の人は誰も除幕式に参加しなかったと



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大人げないとは思いながらも地元の人からすればいかに150年立とうとも、連綿として遺恨は受け継がれているのでしょう
部外者の私が軽々しく口を挟めるものではありません

ですが、大久保の名誉のために一言いわせてもらえば、大久保利通と言えば明治維新の三英傑に数えられる偉人です
死後莫大な借金があったと言われていますが、そのほとんどが私財をなげうって国や故郷のために使っていたといいます
彼なりに故郷を愛していたんですね

西郷といえば「敬天愛人」ですが、大久保といえば「為政清明」

彼の人となりをよく表しているのかもしれません


後編へつづく(^-^)/


追伸
途中で写真をさしはさめないのでここに載せます
南洲墓地には中津隊の墓もあります
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中津城公園には「西南の役」の石碑があります

Posted by 三線男 at 16:43│Comments(0)
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